インターネット性善説ドラゴンのハイパー自己満足

好奇心の大義名分にさせて下さい。

日々の選択肢を増やせば人生は楽しくなるのか確かめたい

 

 

はじめに

 

先日、突然尿意を催し、自宅のトイレに向かってるときにふと思った。

『なんで私、自宅のトイレに向かっているのだろう?』

 

ゲームで表すとこんなにつまらない

あまりに突発的で考えるまでもないギモンだと思う。

そりゃあ一番近くにある自宅のトイレが用を足すのに時間も労力もかからないからだ。

 

でも、本当にそれでいいのだろうか。いつもいつも選択肢が1つだけじゃ味気ない気がする。

 

選択肢がいっぱいあった方が楽しいのでは…?

きっとコストパフォーマンス的に考えるまでもないことでも、色んな選択肢があった方が楽しいんじゃないだろうか。

 

今回は一日を通して、普段の行動に新たな選択肢を見出して実行し、それが楽しいのか確かめてみたいと思う。

 

 

実行

 

 

 

寝起き、まずはトイレ行くよね

実行当日、まずはここから始めようと思い至り、起床後トイレへと向かう。

 

いつもだったら選択肢は1つしかない。しかし、今日は違う。

起き抜けの頭で他の選択肢をなんとか絞り出してみる。

 

この普段思いつきすらしないことを無理やりこじ開けるように考えるの、すごく脳が疲れてこの時点で面白い。

 

そして、絞り出した結果がコレだ。

今回はせっかくだから、一番規模のデカい上から2番目の『遠くのトイレに行く』を実行してみようと思う。尿意が来る前に急げ急げ!!

 

思い立ったが吉日。

すぐさま家を飛び出し、適当な電車に乗り込む。

 

出かける前にダメ元で「遠くのトイレに行きたいから付き合って!」と友人を誘ったら、「いいよ」と二つ返事で付いてきてくれた。一生大事にしようと思う。

 

始まってすらないのに既に選択肢を増やして良かったと感じる。かなり幸先がいいかもしれない。

 

カバンも持たずに飛び出したからポッケがパンパンだ

とりあえず終点まで向かおうと意気込んで乗り込んだもの、『用を足しに遠出する』というのはなにぶん初めての経験。驚くことに、自分の中に緊張があることに気付いた。

 

なんだか『初めて会う親戚と対面する直前』みたいな種類の緊張。

何事も初めては緊張するモノだし、『用を足しに遠出する』のに多少の緊張が伴うのも道理なのかもしれない。

 

同行してくれた友人は「お前だけだよ」と言っていた。

 

有楽町線新木場駅

そんなこんなで電車に揺られ続け、終点に着く。

家を出てからそこそこ経つ。流石にボチボチ尿意を催し始める時間。

 

せっかくならあと少しだけ遠くに行きたいなと思い、改札に移動する途中、早くも目の前にトイレが現れた。少しだけ困る、どうしようか。

 

『正直そろそろ済ませたい』『どうせならもっと先に行ってみたい』

がせめぎ合った結果。

 

出てきた後

内装だけ、見てきた。

初めて尿意があるのにも関わらず、トイレに入って用を足さなかった。

 

なんだか尿意を催しながらトイレで何もしない状態は『空腹の状態で見る焼肉屋に近いモノを感じた。

出てきて早々友人にこの感想を伝えたら、だいぶ渋いカオをされた。かなり最悪な例えだったかもしれない。

 

用を済ますため、もう少しだけ移動する。

乗り換えて電車に乗り込み……

 

舞浜駅サイゼリア、凄くかっこいいからおすすめです

オリエンタルランドの傀儡こと、舞浜駅に到着。

夢の国で、用を足したい!!

 

規模がデカい

エスカレーターを降りると、もう目の前にトイレを発見。

夢の国の駅なだけあり、壁一面を使って自己主張している。でっかくてイイ。

 

手前についてる『男子トイレ案内図』もかなり見やすく、面白い。

 

洋式トイレのマークが魚みたいでかなり見ているだけで楽しい。

でっかい魚がトイレに収監されてる……??

 

そろそろ尿意もヤバヤバなので、いよいよ目的を達しに中へと向かう。

用を足しに他県まで来たぞ!!

 

出てきた直後に襲う虚無

用を足した。多少の後悔が頭のスミによぎって焦る。

 

足した直後、じわじわと『このあとどうすっかなァ』の気持ちが奥底からせり上がってくる。なんならここまで来た特別感を作りたくて、手を洗うのにいつもの倍時間をかけてしまった程だ。

体育のマラソンで初めに全力を出して後半で後悔するアレ、アレに近いかもしれない。

 

凄すぎ

しかし、そんな少しの虚無も友達と『鼻筋とバランス感覚が強すぎるダンボ』をみたら吹き飛んだ。面白過ぎるしかっこいい。

 

日常の考えるまでもない行動の選択肢が増えるメリットって、『予想できない過程の疲労と楽しさ』にあるのかもしれない。

 

一番安いお菓子を買って次の選択肢へと向かう。

あと、ディズニーの土産屋さんはコンビニ感覚でお菓子を買いに入る場所ではないなと分かった。これもメリットかもしれない。

 

 

 

 

葛西臨海公園って千葉県じゃなかったんだ

そのまま歩いて1駅隣の葛西臨海公園にやってきた。

せっかく遠くに来たことだし、なにか特別なモノを食べたいなんて考えながら園内を散歩していると……

 

あちらこちらで屋台や売店を見かけた。

葛西臨海公園なんてあんまり来る機会もないし、どうせなら屋台や売店のおいしそうなご飯で済ますのも良いのではないかと友人と話が決まりかけたが。

 

ここで一旦立ち止まる。

ここからまだ、選択肢を増やせるのではないか?

 

現時点ではこう。

ここからなんとか新たな選択肢を絞り出してみる。

 

数分考えた結果、上の通りになった。

せっかくだし、この中で一番その後の予想ができない『あえてコンビニで買う』を選択してみようと思う。

 

最寄りのイカファミリーマートに戻り……

 

昼食を購入。どうせだから屋台で販売しているのと同じモノを揃えてみた。

 

腹が減りすぎているので早々にいただく。

画像では分からないが、雨がハチャメチャに降っている。

 

『解像度が良ければ雨に打たれながらコンビニ飯を喰らう面白過ぎる姿が見れるのに…』とこの日ばかりはスマホのレンズ性能を恨んだ。

 

そして肝心のコンビニ飯だが……

 

うま過ぎて震える。

 

雨降りでかなり寒い中食事をしているからかは分からないが、震える程美味しい。いや、実際に震えている。

友人も貪るように温め直したヤキソバを食べていた。かなり美味しいらしい。

 

食後のアイス、寒すぎてヤバイ

この食事、コンビニ飯であるのにも関わらず、祭で屋台飯を買って食べる時と同様の『非日常』を感じて不思議だったのだが、今考えれば納得がいく。

 

そもそも普段考えもしない選択肢を選んで行動する最中にいるのだから、非日常を感じて当たり前だった。

それ込みで実質屋台飯を食べているようなモノだったので、だいぶアドバンテージが大きい選択肢だったかもしれない。

 

『考えもしない行動から生まれる非日常』+『コンビニ飯の単純な実力』の合わせ技、かなりすごかったけど再現性はないかもしれない。

 

あとここら辺で少し気付き始めたが、奇想天外、ここで言う新しい選択肢って『楽しさ』もそうだが、同時に『精神的疲労も伴う。どんなバカみたいなことでも手探りで進むのって大変なのかも。

 

 

 

ポートタワー

だいぶ夜に近づいてきた。用を足しに来たにしては長居をし過ぎているかもしれない。

ただ、そのまま帰るのもなんだか勿体ない気がするのでお土産を買うためにポートタワーにやって来た。

 

塔のふもとから中に入ると、もう凄い。

ドア前に様々な千葉のお土産が並んでいる。

 

その奥にはどこか懐かしさを感じさせるゲームコーナー。

中にはかなり古い機体もあってかなり居心地がいい、のだが。

 

千葉の観光施設なのに!?

くまモンのテーマソングをかなりの音量で垂れ流すくまモンのホッケーの圧が強い。

 

千葉の観光施設だろうが何だろうが、来客者全員を楽しませるのに手段を選ばないポートタワー職員の『本気度』が垣間見えてすごく良かった。好感度がグーーーンと上がる。

 

流石に私の家は見えなかった

展望デッキへの入場も大人420円と思ったより高くなく、眺めもキレイで満足度も高い。

 

よく観光地にある、記念メダルを作る機械の映像も考えられないくらい面白い。

千葉でお土産を買う場所として、これ以上はないと思える。

 

1階に戻って考える。

ここからどんな選択肢を増やせるだろう。

 

検討に検討を重ねた結果、こうなった。

当たり前と言えば当たり前なのだが、そういえばお土産屋さんで通常の商品って買ったことないかもしれない。

 

どんな感情が生まれるのか、気になるっちゃ気になる。

『通常商品を土産に買う』を実行してみようかと思う。

 

ここまで店頭にお土産コーナーが並んでいるのに、店内にもしこたまお土産が置いてあった。なんなら商品の半分はお土産が占めていたかもしれない。

 

通常商品の方は良くも悪くもどこでも見る商品が陳列されている。

地元でならどれも魅力的に映るのに、ここで見ると『今は買うのは違うだろ』と脳内で警告されるのは何故なのだろうか。少し考えてしまう。

 

そんな逡巡を終え、私はお土産に……

 

豊かな、味

『味彩フルーツ』を選びました。

 

なんだか千葉の土産に負けず劣らず輝いてる気がして、良かった。

 

ちょうど執筆時に母が帰宅し、出先のお土産として限定のカステラを買ってきてくれたのだが、その時まさに食品系のお土産の凄さを理解できた。

 

主張の強いパッケージを開けてから口に含んで呑み込むまでの間、一瞬でも確かにその地に想いを馳せられるし、確かに『非日常』を感じとることができる。

味は二の次で、その体験がお土産のキモなのかもしれない。

 

飴は普通に美味しかった。近くに売ってたし、また買いたい。

 

 

結論

 

そういえば、いつもの行動は精神的負荷がかなり少ない。

安定行動って安心に繋がっているんじゃないのかと、帰りの電車でぼーっと浮かんだ。。

 

催したとき、一番近くのトイレに行くなんてことは時間効率的にも労力的にも理にかなっていて考えるまでもない当たり前の事。

だが、今回のことでそれとは別にも『何回も繰り返している行動だから安心できる』という心の担保の意味合いもあるのではないかと思った。

 

どんなことでも『経験がないことってちょっと怖い』

いつもの考えるまでもない行動って、自分の中に経験と実績があるからこそ安心して動けてるのもあるんだなと、少しだけ紐解けた気がした。

 

意外と、安定行動って合理性からじゃなく、何も考えずに慣れで動いてるだけなのかも。

『子どもの頃に初めて一人で電車に乗る恐怖感が、2回目から薄まるアレ』の積み重ねでできているのかもしれない。

 

選択肢が多くなってその瞬間が楽しくなるかは分からないが、続ければ将来的に楽しくなる可能性もある。

安定行動を避けた選択を取るより、こんな事を続けること自体が恐怖ではあるのだけど。

 

(トルー杯提出記事)