皆さんは長い棒に一瞬でも気を留めたことはあるだろうか?
私はある、なんなら夢中と言ってもウソにならない。
というのも最近気付いてしまったのだ、長い棒の内包する神秘性に。
例えば電車で袴を着た人が長物を持っていてもなんの違和感もない。同様に、制服やジャージなど同じ衣類を着用している集団が電車で長物を持っていても違和感はないだろう。
『まぁ弓道や剣道などをしているのだろうな』と状況や服装から判断できるからだ。
しかし待って欲しい、
普通の服を着た一般人が上のような長い棒を持って電車に乗車してきたらどうだろうか?
違和感しかないだろう
そう、違和感しかないのだ。マジで持つに至った背景が想像つかないので『なんで長い棒持ってるの……?』となるのが必然である。
『用途が分かるか否か』でここまで周りの印象が変わるのだ。お分かりであろう。
ただの長い棒は逆に用途を持たないことによって、持つだけで周りに持ち主の背景情報の想像を強いることができる。
とんでもないことだ、ただ長い棒を持つだけで承認欲求を満たせてしまう。
SNSで下手にリスクを負いながら満たすくらいなら、長い棒を担いで街に繰り出した方がコスパが良いんじゃないかとすら錯覚してしまう。
そこで今回は
『長い棒を持って目的地まで歩き、長い棒に内包する力の一端を垣間見たい』
この歩きで、長い棒を掴み切ってみせる。
掴んでみせます、自分星。
長い棒歩き
さっそく始めていこう。目的地は東京タワー、別記事の撮影で用があるのだ。
ここからだと大体3キロくらいらしい、丁度いい距離。
今回は長い棒の神秘性を確かめる意味もあるが、『シンプルに長い棒を持って歩きたい』という思いもある。考えてもみて欲しい、カッコよ過ぎるだろ。
別に長い棒持って歩いてもいいじゃないか。五代雄介じゃなくてもドラゴンフォームにならなくても『長きもの』を持ち歩いていいじゃないか。
そんな想いを胸に秘めて歩き始める。
少し歩くとオシャンなマンションが顔を覗かせる。散歩はこーゆー想像もできない他人の生活に想いを馳せるのも醍醐味だと思う。
もう少し立ち止まっていたかったが、近隣住民の皆さんに「この棒を持ってる人は何をされてる方なの?」とアッコばりに想いを馳せられても申し訳がないので、早々に立ち退く。
また少し進み、なにやら高級そうな住宅街に入ったのだが、急に好奇の視線を感じるようになった。
なんというか誇らしさと申し訳なさを一挙に感じる。これが二律背反ってヤツか。
そしてさらに1キロ歩いた辺りでようやく気付く。
肩が痛てェ!!!
この棒、実は無駄にプラスチック製じゃないのだ。なんか重い素材、鉄??
なんで下手に肩に担いだりするとシャレにならないスリップダメージを負ってしまう。HGSSの連れ歩きシステムにおける毒状態と同じ。
一旦棒のド真ん中を肩に置くことにより問題を解消。リクツは分からないけど少し楽になった。
一息つきたいなんて思いながら歩いていると、
『誰も買ってるのを見たことないオレンジジュースの自販機』を発見。
「後にも先にも買うことはねぇだろう」と思っていたが人生何があるか分からない。これも神の思し召しかもしれない。
でも……
……400円か
……!!
………
………………
美味しそうで買っちゃった!!
憧れは止められねンだわ。
近くの公園に移動し、飲んでみることに。
ところであのオレンジが流される演出、果たして本物のオレンジを使っているのだろうか、私気になります。
───いざ、飲んでみる。
どうだ……!?
ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!!!!!!!
んふぉァ゛……
……まだよく分からなかったのでもっかい飲んでみます。
ズゴゴゴ……
ハハハ……
こりゃあ売れるわ……
リッチなオレンジジュースを飲み干し、いつか見たような街並みを進む。
こんな感じの統一感ある道が好きなんで、通るとやっぱりテンション上がってしまう。
棒の存在を忘れる程、景色に夢中になりつつ歩けばもう大通り。
私は埼玉県民なんで、東京の一瞬で街並みが変わるこのカンジは未だに慣れない。急に景色変わるならロード画面とか挟んで欲しいよな。
また、道のわきにある噴水で『街へいこうよ どうぶつの森』に転生したときのためにオノの投擲練習などを済まして歩みを進めれば……
!?!?
やっと東京タワーが顔を出してくれた、嬉しい。
ついでに横を通り過ぎる中国人観光客が棒をジッと見てくれた、嬉しい。
『目的地到達間近の喜び』と『長い棒を持つだけで注目を浴びる仮説が実証される喜び』の2つが満たされて流石のインターネット性善説ドラゴンもニッコリを禁じ得ない。
ついついイケオジとツーショしてしまっても止む無しというモノ。
───終焉の刻は近い。
そんで、遂に目的地に到着。
東京タワーがよく見え、だだっ広い広場があるここが撮影の最適地なワケです。
目的の撮影を決行し……
長い棒をのぼりに仕立て上げ、『一番カッコイイ構え』を研究する。
これに割いた時間が一番多いかもしれない。
そんで記事の撮影は終わったので棒をツナギに収納し……
巻きつけて……
お片付け完了。
本日のタスク終了なんで家に帰します、長い棒を持ってな。
終わりに
冒頭に『長い棒を持てば、周囲に持ち主の背景情報の読み取りを強いることができるかも』と仮説を立てた。
確かに間違いはなかったかもとギリ言い切れる実感はあるが、少しばかり高尚すぎるので『言い換え』が必要かもしれない。
正確に言えば、長い棒を持って歩けば
『歩く見世物小屋になることができる』
と言い直した方が近い。確実に見世物小屋を見る目だった。小学4年の頃に見たドラえもんスペシャルでのび太が見世物になる特番を見たから断言できる。
でも確かに、こんなのが街の隅をこそこそ歩いてたらそうなってしまうのは無理もない。また一つ、世界の秘密を知ってしまいましたね。
だが、プラスで気になることができた。
『用途が分かるかで周りの印象が変わる』はわりと真理であることが今回の件で確認できたが、
野球の服装をしている人が弓道の弓を持つみたいな『服装と道具が対応してない場合』はどうだろうか。多分注目を浴びる。
設置場所と用途がかみ合ってない豆腐ハウスはどうだろう。公園で一番人が集まる広場の横に建てられているのに、トイレでもなければ案内所でもないナゾの建物。逆に目立つし、印象に残る。
結局用途があろうとなかろうと、周りが困惑するような
『理にかなってないチグハグさ』さえあれば全て同じなのかもしれない。
ちなみに帰りに寄ったバイト先でもこの長い棒は失笑を買った。今の社会、理にかなわないと生きていけないからチグハグなモノが面白くなるのは当然の帰結なのかも。
今度ひろゆきさんに聞いてみようと思う、スパチャで。